私の問題解決の考え方 第5章

第5章 ちょっと一休みしましょう
 ―心の要因、気の持ち方・・・特に、「やる気」について―

私は、問題解決を、大きく、二つの要因に分けて説明しようとしています。
一つは、頭の要因:理屈、論理や知能に関わる部分、
もう一つは、心の要因:気の持ち方、感情などに関わる部分、
です。

そして、私は、自分が手がけてきた各種問題に取り組んだときの考え方を、まず、主として前者(頭)の面からの見方で説明しようとしてきました。この見方での説明が終わってから後者(心)の見方での説明をしようと考えていました。

しかし、説明しながら、実際には、頭の要因だけは問題解決ができないこと、さらに、これらの要因は独立ではない(別々に分けて問題解決への寄与を検討するのが難しい)ことを認識しました。


ということで、ここで方針を変え、ちょっと一休みして、これまでの復習という形で、心の要因に関係した説明をしてみましょう。特に「やる気」に着目して、これを行ないます。

なぜなら、やる気の有無が問題解決の成否を左右することがしばしばあるからです。


5.1  やる気が大事

これまで、私が手がけた問題解決事例を説明してきました。そのとき、理屈や論理で説明できること(「頭の要因」と定義)を中心に書いてきて、それが終わってから、気の持ち方(心の要因;感情や感性、言葉にし難い、自動的、自然にやっていた、無意識なことも多い、自分がそうしようとした覚えがないようなこと)が問題解決に与える影響について書くつもりでした。

しかし、実際には、「考える」ことを二つの要因を分けて考えることは難しいのです。(片方だけでは片手落ちになってしまいます。)両者の助け合いにより、問題の解決は実現するのです。というか、頭の要因の観点だけからの説明を誰かが読んでも、説明している問題の解決はできても、その他一般の問題への応用が難しいのです。つまり、問題解決の考え方がうまく説明できていないのです。

解決への寄与を考えたとき、考える力の重要性は勿論大事なのですが、もしかしたら、心の要因の寄与の方が大きいのかなと感じるときもあります。気の持ち方でもっとも大事だと私が考えているのが「やる気」です。二、三の例を示しましょう。


例1 ある研究室で

ある会社の研究プロジェクトでは、10人以上の人がいて、毎日、遅くまで働いているのに、研究がちっとも進まないのです。研究者達に話したり、様子を見ると、どうも、やる気が足りないようなのです。実験でやることを間違えたり、気づくべきところに気づかなかったりが多いのです。また、元気もありません。研究室の雰囲気も暗いのです。高学歴で、頭のいい人もかなりいるのに、成果を上げられないでいました。やる気が不足しているのでした。


例2 相談に来る人

会社にいた頃、いろいろな人の研究の相談に乗っていましたが、やる気のない人とある人がいました。やる気のない人(誰かに言われてきたのかもしれません)は一応相談はしても、意欲も見られず、帰るともう来ないことが多かったです。一方、やる気のある人は、一所懸命説明したり、質問して、帰った後も、新しいことが分かるとまた相談に来ました。


例3 ある研究員

この人は、とても頭のいい人なのですが、実験を行なったり、論文を書くことになると、なかなかできないのです。あまり頭がいいと、始めるのが恐くなってしまうのかもしれません。但し、この人は他の人のやったことに対してはいい意見を言うことができるので、私の研究の相談に乗ってもらっていました。


どんなに知識を沢山持っていても、能力が高くても、やる気がないと大した成果は望めなくなってしまうのです。やる気がないと問題解決に着手すらできないことが多くなります。



5.2  私のやる気はどうだったのでしょうか?

私は、そもそも、小さいときから、将来どうしたいか、というようなことを考えたことはありませんでした。その頃は、気が弱く、体もあまり丈夫でなくて、小学校5年までは不登校気味でした。特にやりたいこともなく、家でごろごろして本でも読んでいるのが好きだったと思います。

会社に入ったときも、正直なところ、「私は研究がやりたい」という強い希望を持っていたわけではありませんでした。私が行った大学の先生の紹介で、その会社になんとなく入れていただいたというのが真相でした。

その会社の機械研究所というところへ入ったのですが、そこの上司が親切な人で、私は中央研究所の方が合っていると判断してくれて、私が行きたいとも言っていないのに(そして、私にはどっちがいいか分らないのに)、中央研究所に移りました。

ここの金属材料部門(大学では一応金属の勉強をしていたので)の研究室に入りました。半導体分野で使う金属材料の問題を扱うところでした。そして、ひとっきり経ってから、金線熱圧着の研究(第4章4.2節参照)をやることになりました。その後、エスカ(ESCA:Electron Spectroscopy for Chemical Analysis; X線光電子分光)という表面分析装置の導入から、第4章で説明したような研究を次々と行なってきました。(次章以降でもっと多くの研究例を紹介します。)

その間、何年も経っていますが、私は、会社を辞めることもなく、かなり真面目に、ほとんど研究ばかりやってきました。

これはやる気があった(出た)ということでしょうか?

会社を辞めなかった理由として考えられるのは、次のようなことです。

第一に、結婚し、子供が3人できて、家族を養う必要がありました。そして、子供ができる前に、家も、会社からの借金で買っていました。つまり、なにか仕事をしてお金を稼ぐ必要があったのです。

第二に、もっと大事なことかもしれませんが、研究が思ったより面白かったのです。

私に与えられた研究の仕事でも、初めはつまらなそうな問題でも、やっているうちに興味が出てきて、解決過程の半ばを過ぎると、結構一所懸命に解決しようとしていました(やる気あり)。

第三に(特記したいこと)、上記エスカを、自分の考え(希望)で導入できたということも大きかったのです。この分析法が私の興味を持っていた「材料の表面(界面)状態」を調べるのに役立ったことと、エスカには思ったより沢山の問題があって、それらも私の研究意欲を刺激してくれました。

そして、エスカは会社の問題の解決の役にも立ったのでした。私の研究で自分の考えを実行に移すときに、いつも確かな証拠(真実)を与えてくれました。


この高価な分析装置を手に入れることができたのは、いろいろな縁の巡り合わせとしか言えません(4.3節参照)。ただ、私がエスカをぜひ手に入れたいと強く思うようになっていたことだけは確かですが。

一方、私には、はっきりとしたやりたいこと、夢などはありませんでした。強いて言えば、材料の表面(界面)に興味を感じていたくらいです。

また、自信というものはほとんどありませんでした。

なんとなく、時の流れに身を任せていたと言えそうです。小さいときから引越しばかりで、学校もあまり楽しくありませんでした。親しい友達もいませんでした。

しかし、世の中には、分からないことやできないことが沢山あるのだということを小さいうちに学んでいたと思います。

そして、高校ぐらいから、やっと勉強をするようになりました(学ぶためより、入学試験に合格するため)。しかし、将来の夢とか、何をやりたいというようなことは何もありませんでした。偶々みたいな理由で、大学は理科系に進み、大学院まで行ってから、某電機会社に入りました。

子供のときから、始終、環境が変わり、自分でもよく分からない状態にいることが多かったためか、私は、「分からない」とか「できない」ということを恐がらなくなっていたのかもしれません。

仕事で新しい問題に出会ったときにも、このように、分からないとか、できないと思うことがかなりありました。そういうときに大事なことは、じゃあだめだと諦めてしまわないことなのです。そういう状態におかれたときには、まずやってみるしかないのです。いろいろ試したり、考えたりしているうちに、分かったり、できてしまうことがあるのです。

以上のように、私は先のことなどあまり深く考えないで、暮らしてきました。正直なところ、自分のやる気のことなど、この論文を書き始めるまで真剣に考えたことはありませんでした。

やる気の重要性を感じたのは、他の研究者の相談に乗ったときです。前節で示したような例に出会って、その重要性をはっきりと認識できたのでした。

次節では、やる気の出し方について考えましょう。



5.3 やる気はどうしたら出せるのでしょうか?

あるときまで、あまり意識してやる気のことを考えたことがありませんでした。それは、数年前、秋田県立大(由利本庄市)で、新しい研究を立ちあげるお手伝いをして、こちらへ帰ってくる前に、私のやったことについての講演をしたときでした。

そのときは私が会社をやめてから2、3年経っていましたが、お手伝いの間に、問題解決にとって、やる気が大事であることを何回も感じました。ですから、講演では、やる気についてぜひ触れたいと考えました。さらに、私は、この講演を、お世話になった、地域の皆さんにも聞いてもらいたかったのです。そして、それなら、研究のことを知らない人達にも分かるような話をして、研究者にも、一般の人達にも、やる気について一緒に考えてもらえるようにしようと考えました。

そのために、まず地域の人達に講演に来てもらうべく、題名に親しみのある誘い文句を探しました。

それまでの経験では、ほとんどの問題で、私はあまり綿密な計画を立てるより、まず、解決に着手していたのです。まず、始めたのでした。それなら、これを秋田弁にしようと思いました。

秋田出身の、そのとき助手であり、今も友達であるSさんに、「まんずやってみれ!」という言葉を教えてもらいました。この言葉を題名に入れて、研究を問題解決の一つだという考え方で内容の説明をしました。講演はうまく行ったのですが、そのときは「まんずやってみれ!」の意味をあまり深く考えていませんでした。

そのときからかなり経ってから、「まんずやってみれ!」とやる気の関係について考えてみました。

私はかつて理屈や論理で問題の解決ができると思っていました。しかし、やる気は出そうと思って出るものではありません。理屈で出さなければと分かっていても出ないのです。私の気の持ち方(感情)の問題なのです。

自分がやってきたいろいろな研究を振り返ってみると、始めたときにはやる気がなくても、まず始めていたのです。「まんずやってみれ!」です。しかし、研究が進むとともに、知らないうちに、少しずつやる気が出ていました。集中力も出てきて、研究に夢中になっていたのです。

この過程についてもう少し深く考えてみましょう。


<「まんずやってみれ!」と「やる気」>


次の2点に気づきました。


1. 心のちょっとした「高まり」の積み重ねが「やる気」に?

とにかく、解決に着手するのです。いろいろ調べたり、試したりしていると、面白いこと、新しいこと、変だと思うこと、はてなと思うこと、楽しいことなどに気づくのです。初めは単につまらない作業でも、それを辛抱し、続けていると、なにか出てきます。小さな感動、興奮、喜び、疑い、感激があるのです。心の高まり(小さくても)です。

頭の働きもいくらかよくなるのです。例えば、ちょっと不審なところを見つけたときなど、それがどういうことかを明らかにしたくなるのです。楽しいことでも同じです。もっとやってみようと思うのです。

この効果には相乗というか増幅効果があるようで、何か一つ気づくと、やりたいことができて、それがまた次のやりたいことや行動につながっていくのです。つまり、やる気です。

こうなると、ちょっと大袈裟ですが、私は変わった人間になっています。始めたとき、特に興味がなかったり、あまりやりたくないと感じていたのに、今は、もっと頑張って、この問題を解決したいと思うようになっているのです。


私は、しばしば、自分がいろいろ工夫して作った料理が美味しくできると、つい自慢してしまいます。自画自賛です。ちょっと興奮したり、感動したりします。

美味しい料理を作るのも、一つの問題解決です。

このような体験の一つ一つが、小さいですが、別々の「問題解決の成功例」になります。

ですから、初めはどんな味になるか全く分からない試みでも、美味しいものができて感動すれば、皆、いわば、問題解決に成功した、貴重な体験になるのです。


研究でも、その研究は一つも、それを小さな問題が沢山集まったものだと考えることができます。そして、それぞれの「問題」を解決できれば、また、小さな感動や、喜びや、興奮を体験できるのです。さらに、各々が、取りかかる前はどうしていいか分からなくても、問題(小さいですが)解決に成功した事例になるのです。

つまり、初め自信がなくても、やってみれば「問題」を解決できるということを何回も体験することになるのです。違う言い方をすれば、小さい成功ではありますが、成功する癖(くせ)が付いてくるのです。そして、成功の回数が増えるとともに、やる気がどんどん出てくるのです。

そうすると、問題解決の能力も増してくるのです。その結果、その研究(小さな問題解決の集まり)を完成させることができるのです。


ここで、大事なのは、いろいろなことを感じる(に気づく)とともに、その気持(うれしさ、面白さ、興奮、感動など)を外に表現することです。自分で思うだけでなく、声に出すのです。自画自賛でいいのです。周りの人達に聞いてもらえたらもっといいです。電話で話しても、手紙や日記に書いてもいいです。

そうすると、自分の気持の変化がより具体的になります。気づいたり、感じたりする力や考える力も強くなります。そうすると、いろいろなことにますます気づいて、問題を解決したい気持も強くなるのです。

これは、頭を使う(「頭の要因」)だけではどうにもならないことです。


ここのところで、「ヤルキガデナイさん」からメールが来ました。

>お話はそうかなと思うのですが、私はそもそも始められないのです。始めなければとは思うのですが、やってもだめではないか、やることが思いつかない、失敗したら上司に叱られるかもしれない、もう既に誰かがやっているかもしれない、など、いろいろ良くないことばかり思いつくのです。

私の答えは、

☆ここは理屈なしに始めなければいけません。いや、理屈でも、「始めなければ解決できません」。上司の方にどなられてから始めるのでもいいです。とにかく、始めて下さい。会社にいらっしゃるのなら、あなたはお金をもらって働いているのです。いやなことでも、仕事ですから、とにかく始めるのです。そして、少し続けてみるのです。お金をもらうために、少しぐらい苦労をしましょう。遊び心でもいいのです。失敗しても、クビにはならないでしょう。それと同時になにをやっているかを周りの人に話しましょう。自分が言うだけでなく、周りの人の話もよく聴いて下さい。やりながら、考えたり、調査したりもしましょう。やらないで考えるのではなく、やって、あるいは、やりながら考えるのが大事なのです。5.4ー5.8節でもう少し説明します。

あまり難しく考えないで!元気と勇気で!面白いことを探そう! 以上が私の答えです。



2. 問題が「私の問題」になること?

気の持ち方に関係したことは、もう一つ考えられます。

問題と「親しく」なってくるのです。問題と知り合いになる、仲良し(なじむ、馴れる)になると言ってもいいかもしれません。(「星の王子さま」の中にapprivoiserという言葉が使ってあります。)

問題を解決しようとしていろいろ努力しているうちに、問題のことがだんだん「分かって」(問題と知り合いになって)くるのです。といっても、問題の明らかな手がかりが得られたわけではありません。それでも、「自分の」問題、即ち、自分が解決する問題というような気になっているのです。

もはや、単に沢山ある問題のうちの一つではなくて、私にとって、特別な問題、「私の問題」になっているのです。そうなると、問題への思い入れも全く変わってきます。

問題解決がなかなかうまく行かなくて苦労しているとき、普通の問題なら苦に思うのですが、「私の問題」なら大した苦にもならず、さらに頑張ることができるのです。

どんなに難しい問題に出会い、何かが分からなくても、できなくても、「絶対に」解決できないということはあまりないのです。解決の可能性はあるのです。ですから、まず行動に移すのです。

「まんずやってみれ!」

です。

製品の不良をなくしたいときのことを次の例で考えてみましょう。


例4 半導体製品の不良対策のやり方

いろいろやっている(これまでの経験をもとに、自分で見たり、聞いたり、触れたり、感じたりする)うちに、何かに気づいたり、疑問に思ったり、疑いが出てきたりするはずですし、興味も出てくるでしょう。

不良品を調べる → 原因となる材料あるいは工程を探す。
製品を作る工程を調べる → 作り方と不良発生との対応付けを試みる。

調べる-試す-感じる-考える-もっと知りたい-何が分からないか-疑う-悩む-苦労する-要因(原因)を洗い出す-不満足ー納得できない-違う可能性はないか-倦まず怠らず努力する-諦らめない-夢中になる-面白い-楽しくもある-辻褄が合わない-どうしても真実を知りたい

以上のようなことをやったり、失敗したり、感じたり、気づいたり、考えたりして、少しずつ答えに近づいていくのです。行ったり、戻ったりすることもあります。結局は試行錯誤です。

しかし、これでは、大昔から大勢の人がやってきたことと同じです。ただの試行錯誤だと、しばしば苦労ばかりになります。そして、解決したと思っても、また同じ不良が出てしまったりします。

私は、この苦労を少しでも軽減したいと考えました。

明らかにしたいことは、

どこの工程で何をやったら、不良につながるのか。
やったことの善し悪しを判断できるか。
悪かった場合の対策を立てられるか。

です。そのとき、これらのことを確かな証拠(真実)をもとに考え(明らかにし)たいのです。そして、しばしば、私の研究では、エスカの測定が、その証拠を与えてくれました。

ここまでくれば、問題は解決に近づいているのですが、上記の「明らかにしたい」ことを明らかにできるかどうかは、研究者が、こつこつと、丹念に、倦まず怠らずに、問題となる工程や原因を追いかけていくことができるかどうかにあるのです。そして、これをできるかどうかが{やる気」にかかっているのです。勿論、この段階でも、エスカは役に立ってくれますが。


このように、問題の解決に着手さえしていれば、かなりの確率で解決が期待できるのです。しかし、始めないと、解決はできません。

もしかしたら、これが、問題解決で一番難しいところかもしれません。



例5 私のやる気は?

さて、私の場合、「やる気」は出そうと思っても出るものではありません。人に指示されたり、命令されたりすることには、大体拒否反応を示すのが普通でした。仕事だと思えばやらないことはないのですが、初めは、いやいやながらの場合が多かったです。

それでも、文句を言うなら、まずやってからだと思い、始めてみることだけはしていました。つまり、「まんずやってみれ!」です。

これは、私のある程度いいかげんな性格によるものだったのでしょう。

ですから、私は「分からない」ということをあまり怖がらなかったのです。どうしていいか分からなくても、何かを始められたのです。そして、いろいろ試しているうちに、面白いこと、疑問点や問題点が見つかってきたのです。

しかし、やる気がどのように出てきたかはよく分かりません。

考えられる可能性を書き出してみましょう。

1) 自分でやりたいと思う。
でも、この気持ちがどのくらい続くか不明
2) できないとか、やってはならないとか言われて、反抗心で(天邪鬼)
3) 他人に勧められて
4) やっているうちにやりたいと思うようになる、やるべきだと思う、面白くなる、興味が出てくる、楽しくなる、疑いや疑問が出てくる、やり遂げたいと思う、もっと知りたくなる。
5) 他人のやっているのを見て、やりたくなる。
6) お金のために(暮らしていくためにやらなくてはならない)
7) 苦労するとやる気が出てくる(逆境、壁など)。
8)やっていることは自分がぜひやりたいこと(大目標;例えば、偉くなる)の一段階だと思う。

私の場合、自分から言い出さない仕事を初めからやりたいと思ったことはあまりありませんでした。

それはともかくとして、まず始めてはみました。最初は細かい計画などは立てません。簡単な調査の後、あれやこれやといろいろ試します。不良の問題なら、不良品をよく観察したり、不良に至る過程をいろいろ考えたり、不良の原因となりそうな工程をいろいろ調べたりもします。

このようなことを続けているうちに、なんとなくうまく行くようになっていたことが多いのです。



5.4  しかし、「まんずやってみれ!」より前に問題あり!


まず始めなくては、何もできません。

でも、その「始めるというのが難しい」のです。

何かをやりたいとき、あるいは、やらなくてはならないとき(仕事など)は、とにかく始めます。

問題は、その何かがあまりやりたくないことで、「やる、やらないか」を自分の意志だけで判断できる場合や、「やらなくてもなんとかなりそうだ」と自分が判断する場合です。

そんなときは、やる気が出ないのです。始めることもできない、というか、始めないのです。

こういうときには、やらないいろいろな理由を考え出します。

☆ もっと調べてから始めたい。
☆ もっとよく考えてから始めたい。
☆ 今日は調子が悪い。
☆ 今やっている研究をきちんと終わらせてから始めたい。

などです。

本当の理由は、

☆ 新しいことはやりたくない。
☆ 分からないことに挑戦できない。
☆ やってもできないかもしれない。
☆ いや、やってもできないと思う。
☆ 何をやっていいか分らない。
☆ 前に何回も失敗したことがある。
☆ 誰も指示してくれない。
☆ 自分で考えることが苦手である。
☆ やって失敗すると自分の評価が下がってしまう。
☆ 他の人がやっていないことをやるのが恐い。
☆ こういう問題は自分には向いていない。
☆ 新しい問題で苦労するのがいやだ。
☆ やり通す気力がない。
☆ 問題に集中できない。
☆ 始める勇気がない。

など、いろいろあります。


しかし、問題を解決したいか、しなければならないと思うなら、「まんずやってみれ!」、つまり、解決に着手することは、解決のための必要条件です。


これは、解決に成功したいなら、気の持ち方に関係なくやらなければならないことなのです。

問題を解決したときは、必ず、問題の解決に着手しています。

「解決するためには始めなければならない。始めないときは解決できない。」

これら(「」内)は理屈からも(論理的にも)正しいことです。


やりたいと思ったときは延ばさないで直ぐやるべきです。何がなんでも始めなければなりません。

問題を解決するために「まんずやってみれ!」は必要なのです。そして、好きでも嫌いでも始めなければいけません。始めなければ問題の解決はできません。


5.5  「頭」を使うためにも「まんずやってみれ!」

でした。前節では、私は、驚くべきことに気づいたのでした。(気づいてみれば当たり前のことでしたが。)

そもそも、私が「まんずやってみれ!」と言い出したのは、やる気を出す方法としてです。つまり、問題を解決するためにもっとも有利な気(心)の持ち方(「心の要因」)になれる(やる気を出す)方法をいろいろ考えているうちに、「まんずやってみれ!」という言葉が適当だと考えたのでした。

しかし、上記のように、この「まんずやってみれ!」が、問題解決のために、理屈で考えても、極めて重要なこと(というより、必要条件)であることに気づきました。


さらに、「まんずやってみれ!」で問題の解決に着手した結果得られる、頭の要因に関連した知見がいくつかあります。

☆ 問題解決につながる、いろいろな要因の可能性に気づく。
☆ 解決へのいろいろな道筋に気づく。
☆ 問題をよく理解する。
☆ 解決のために試すことが、問題の解決のために良いことか悪いことかの判断ができるようになる。
☆ それが悪かった場合、解析して、対策を考られる。

などのことが分かってくるです(自分の手を汚し、いろいろ試しながら考えるのが重要)。

最後の二点は「私の問題解決の考え方」の中で一番大事だと考えている「チェック機能」と名づけていることです。これによって、私のやり方を、単に気の赴くままに(そのときの気分などで)行なうものではなく、道理に適ったものにしているのです。また、他の項目も、理屈や論理を使うために必要なことばかりです。

つまり、当初は、やる気を出すためには「まんずやってみれ!」だと言っていましたが、実際には、問題解決のためには「まんずやってみれ!」でした。

これらに関連して、第4章までに、研究等の問題解決例を紹介してあります。そこでは、上記の「頭の要因」に重点をおいて、それぞれの問題がどのような考え方で解決されたかも示しました。

即ち、研究の対象(問題)は違っても、基本的な考え方は違っていないということを説明しました。

そこに書かれている結果だけからは、実験のやり方から結論まで、理屈にあったことを論理的に考えて、役に立つ知見を得ているように見えるかもしれません。

学術論文ではこれでいいのかもしれませんが、この私の論文は、研究の結論を説明するのではなく、研究するときの「考え方」を説明しようとするものなのです。

次節では、もう一度、頭の要因も心の要因も含めて、
「まんずやってみれ!」から問題解決へ、
ということを考えてみましょう。

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5.6  「頭」からも「心」からも「まんずやってみれ!」

ちょっと、これまでの復習をしましょう。


私が問題解決について考え始めたのは、30年にもわたる、私の理工学的研究のやり方に共通点(一つの考え方)があると気づいたのがきっかけでした。そして、その頃は、この考え方も理屈に合ったものであると考えられたので、それを科学的な考え方として、理屈で説明できるものだと思いました。

しかし、会社をやめて、研究その他、様々な問題の相談にも乗るようになり、この考え方をきちんと理解し、論文にしようかと思い始めたときに、大事なことに気づきました。

それは、頭を使うだけでは、即ち、理屈や論理だけでは、問題を解決するのが難しいということです。つまり、私達の気(心)の持ち方が、やろうと思っていることの成否に大きく影響を与えるということです。

これは、私の場合、「やる気」のことを考えれば自明です。気分が乗るようなときに、ある問題の解決に着手し、何かをやり、理屈で考えると、解決への手がかりが得られて、それがやる気につながるようなことがあります。やる気が出ると、頭の働きもさらに良くなって、解決も進んで、もっと意欲的になれるのです。このように、頭の働きだけでなく、心(気)の持ち方の影響も受けながら、問題の解決が進んでいくのです。


これまで、私は、なんとなく、「チェック機能」と頭の要因をむすびつけ、「まんずやってみれ!」と心の要因をむすびつけて考えていました。

しかし、ここからは、両者を別々に考えるのは止め、一つの考え方にまとめて、より総合的に、問題解決の考察の再検討を行ないます。

ここで気づいたのですが、私は、自分の考え方に名前をつけずに、「私の問題解決の考え方」としか言っていませんでした。

いろいろ考えた結果、次のような呼び方をすることにしました。

「チェック機能付き「まんずやってみれ!」思考法」

です。この中には、「チェック機能」も、「まんずやってみれ!」も、頭の要因も心の要因も含まれています。

次節では、この方法について、前より総合的に考えてみましょう。


5.7 私の問題解決の考え方

ここでは、改めて、頭の要因も心の要因も考慮に入れて、私の考え方を説明しましょう。

まず、私の方法は、つまり、
「チェック機能付き「まんずやってみれ!」思考法」

です。

この考え方は、基本的には、試行錯誤法です。つまり、問題解決のために、何かを試み、失敗したらまた別のことを試みる、というやり方です。

ですから、「チェック機能付き試行錯誤法」が内容をよく表わしているかもしれません。

かつて、私は試行錯誤法をバカにしていました。

科学的ではなく、正しい答を得るのが難しいと考えたからでした。

そして、「チェック機能」と名づけて、

「やっていることの良し悪しを判断して、悪かった場合、その解析を行い、対策を考える」

というやり方を試行錯誤に追加して、研究を行なってきました。


しかし、基本は試行錯誤法で、解決のための検討を

 まず始めて、続ける 

ことです。(まんずやってみれ!)


順を追って考えていきましょう。


<理屈でなくても、理屈でも、とにかく始めよう!>

誰でも、何があるか分からない闇の中へ入っていくのは恐いでしょう。その闇の中で動き回るのも同じことです。

難しそうな新しい問題が自分の前に現われたときにも、同じような気持になるのも無理ありません。

しかし、どんなに難しい問題でも、解決に成功した人は必ず始めているのです。即ち、始めなければ,解決に成功しないのです。

これは理屈でも正しいことです。

でも、この「始める」ことができず、終わってしまうことがかなりあるのです。

どうなるかは、
 この問題を本当に解決したいのか?
 この問題を本当に解決しなければならないのか?
の答によるのです。

答が本当に「はい」なら、思い切って、とにかく始めましょう。

自信はなくてもいいのです。
どうしていいか分からなくてもいいのです。
失敗したらどうしようなどと考えなくてもいいのです。

世の中には分からないことやできないことが沢山あるのです。恐がることはありません。誰だって初めは分からないのです。

気軽で行きましょう。遊び心でいいのです。子供が新しいことを試すときのように。


始めれば、解決に成功する確率が出てくるのです。

私は「やればできる」なんて言いません。

自信を持てとも言いません。

私自身、新しい問題を解決できる自信があったことはあまりありません。しかし、私は問題を解決したかったか、解決しなければならなかったのです。

そして、実際に、解決に自信がなくても、私はまず着手し、努力することにより、結果として問題を解決できた、という経験を沢山積んできました。


当初、「頭」以外の要因(例えば、やる気)ための「まんずやってみれ!」の重要性を強調したのでした。しかし、「まんずやってみれ!」から、頭を使った問題解決に必要な情報も沢山得られることが分かりました。

しかし、これらの情報をどのように求めたか、ということになると、理屈や論理だけでは求められない部分が多くあるのです。

「まんずやってみれ!」から得られる重要な情報としては、まず、問題解決につながる可能性のある、要因や解決への道筋です。一般に、新しい問題で、頭で考えただけで、自分が求めている要因や道筋を見つけ出すのは至難の技です。自分が考えた可能性の中に、実際に解決につながるものが含まれていることが必要です。結局、いろいろ試して(実践で)得た知見をもとに、探す方が多くの可能性に気づけるのです(しかも現実性のある)。

何かヒントを見つけたときでも、偶然思いついたとか、気まぐれに試してみたら気づいたとか、面白そうなことを調べていて気づいたとか、勘でそう思ったとか、頭を使ったとは言えないような場合がかなりあるでしょう。

また、実験(この場合だって、なぜこの実験をやるようになったかをうまく説明できないこともあるのです)などの結果を見て大事な要因に気づいたとか、その結果をもとに解決への道筋を論理立てて推定したとかいう場合もあるでしょう。ここで、この「気づく」かどうかというのは、気の持ち方によって大きく変わってしまいます。気が乗っていないと、目の前にあるものが見えないこともよくあるのです。一方、本気になっていて、やる気十分なら、普通は見逃してしまうようなものに気づいてしまうかもしれません。この度合いは、人によっても変わってしまいます。


どんな場合でも、自分の気の持ち方によって、頭の働きがとても活発になったり、不活発になったりしていることがあるのです。私も経験していますが、やる気があるかないかによって、私の、気づく力、考える力、集中力、忍耐力などは驚くほど変ってしまうのです。

ということで、ここで、心の持ち方を感情の表われと考えて、


「私の感情の影響」

について、もう少し詳細に考えてみましょう。

まず、心理学的に考えると、不快な感情の方が快いものより心の高まりを大きくする(強く感じる)らしいです。

不快なものとは、恐い、怒り、不安、嫌い、悔しい、苦しいなどの感情です。そういうときには、逃げたい、避けたい、やり返したい、忘れたい、どうしたらいいだろう、考えたくない、何とかしなければいけない、などと思うことでしょう。

一方、快の方は、何かをやったり、何かが起きて、うれしい、楽しい、面白い、新しいことを見つけて興奮した、何かが分かった、ときなどの感情(気持;感動、感激、興奮など)です。


問題解決では、これら両方の感情が入り交じって、目的の達成を助けてくれているのです。今までの説明では、快の感情に重点を置き過ぎてしまいましたが、不快の要素も大きな影響を与えていたのです。

新しい問題を解決しろと上司に命令されたけれど、気が進まない。面白くなさそうだ、やってもできそうもない、面倒くさい、とても手間がかかりそうだ、などといやなことをいろいろ考えてしまいます。

しかし、これは仕事なので、何かやらなければならないのです。お金をもらうために働いているのですから。いやでも。

(やらないと会社の評価が悪くなる、給料があまり上がらなくなる、偉くなれない、他の人に先を越されてしまう、などと、いろいろいやな心配もするかもしれません。)

ということで、私はまず始めてしまいます。

そのときは気づかなかったのですが、これがとても大事なことだったのです。これだけのことで、私が問題を解決させる確率がゼロから急に上がったのです。

そして、着手すると、まず何をするか悩み始めます。つまり、分からないということで否応なく頭の働きが活発になるのです(心の高まり)。どうせやるなら、問題を解決したいわけですから、問題と関係ありそうなことを探すべく知恵を絞って(脳が活発になる)考えることになります。

いろいろやって、何か分かっても、問題と関係なさそうなことばかりだと、悩みが大きくなって苦しみます。これは脳をさらに働かせることにつながります。このようなときには、一見、何も分からない状態にいるようですが、私は変わっているのです。分からないことだらけでも、検討を続けていると、問題のことをより深く考えるようになっているのです。できないことが悔しくもなるのです。他人に先を越されたときも悔しいです。嘘をつかれると怒ります。

また、得た結果が問題と関係ないことが分かったとしたら、これも大事な解決への手がかりになります。自分がやったことは解(答)と関係ないということを示しているからです。但し、後になって、この結果が問題と関係があると分かることもなきにしもあらずで、この場合でも、この結果は役に立つのです。

いやな状態が続くのも、決して無駄ではないのです。

一見、無意味に思われるようなことでも、続けているうちに、面白いこととか、問題に、もしかしたら、関係がありそうだと思われることが出てきます。このようなことに気づくことができると、今度は、快の感情の出番です。

小さいことでも、ちょっと興奮したり、面白いと思ったり、感動したり、感激したりすることがあるのです。そうすると、これはなぜだろうか、今度これをやったらどうだろうか、とかいろいろ思いつくことがあるのです。ここでも、頭の働きが活発になり、問題につながりそうなことに気づきやすくなるばかりか、考える力も増してくるのです。

ここで、はてなと感じたことの原因が分かったということがあるとすれば、これは小さな問題解決に成功したという貴重な経験になります。

解決の手がかりを得るために、悩んだり、苦労したり(不快な感情)した結果、小さいことでも、何か分かったりすると、心の高まり(脳の働き)はさらに高くなります。

一般には、不快な感情(分からない、辛い、など)を持っているときでも、問題を解決したいという気持が強くなると、辛くても、分からないことを分かるようにしたいという気持になるのです。勿論、何か分かったり、見つけたりしたときには、興奮や感動につながり、もっと努力して解決を可能にしようとします。

結局、不快と快のどちらの感情も、解決を助ける方向に働くことになります。

さらに、もっと大事なことは、このように、問題についていろいろ考えたり、試したりしているうちに、問題のことが少しずつ分かってくるのです。この問題に親しみを感じてくる、この問題と知り合いになる、この問題が自分にとって特別な問題になってくるのです。

自分がこれから解決する「私の問題」となるのです。

この頃になると、多分やる気が出ているでしょう。そして、なんとなく、問題と関係ありそうな要因とか、解決への道筋とかをあれやこれやと考えられるようになっているかもしれません。

最初のうちは分からなくても、検討を倦まず怠らず進めていくうちに、自分のやっていることの善し悪しも感じられるようになるかもしれません。

しかし、「まんずやってみれ!」だけでは、所詮、試行錯誤法ですから、理屈と論理だけで問題を解決するのはかなり大変です。



<理屈と論理を使いやすくする>

には、上記の「良し悪しを見分ける」ことが具体的にできると、検討を進める方向ややるべきことを、事実をもとに、理屈と論理により決めていけます。

つまり、「チェック機能」です。理工学的には(私の考えでは)、やっていることの良し悪しを定量的に判定するだけでなく、悪かった場合の解析と対策を求めるところまでが含まれます。

こうなると、私の知的能力(頭の働き:理解、気づき、解釈、思考、推理、予測、論理、類推、比較、記憶・・など)を自分の考えで問題の解決に役立てられるようになってきます。勿論、知識や経験も役に立ちます。そして、この段階では、私の頭の働きも普段より大幅に活発になっています。さらに、普通なら嫌がるような作業を続けられるだけでなく、それに夢中になれるのです。苦労なこともあまり苦にならないのです。

また、不思議なのですが、後になると、この「苦」の部分は忘れているのです。一方、成果として得られた結果や、やり方や、感動したことなどはかなり覚えているのです。

私の感じでは、この苦労しているときになにをやったかが問題解決にとって一番大事だと思うのですが、なかなか分かりません。これ以上考えても、出てこないと考えますので、今後の研究等の問題解決例についての説明の中で気づけるように努力します。

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5.8 とどのつまり・・・本能?


本章では、問題解決に与える「心の要因」について考えてきました。

というのは、前章までの問題解決例の説明では、どちらかというと、「頭の要因」に重点をおいた説明をしてきました。一方、説明をしながら、「心の要因」の重要性を強く感じるようになりました。

そこで、研究の説明を一休みし、主として「やる気」を頭において「心の要因」についていろいろ考え始めたのですが、1年以上考えても、考えがなかなかまとまりませんでした。

結局、とにかく書き始めて、書きながら考えよう、ということで、ここまで来てしまいました。

自分で考えて分かったと思うことがいくつかありました。それらは、

1.「心の要因」(感情)の影響がとても大きい。

2. 影響を考えるとき、心と頭の要因が両方とも一緒に、というか協力し合って、問題解決を助けてくれているのです。

3. 「心の要因」の方は、私が意識して制御することが難しいところがあります。 

4. 問題解決には「まんずやってみれ!」です。始める前に頭を使い過ぎない方がいいのです。一番大事なのは始める勇気かもしれません。そして、いろいろやってみることと、この作
業を倦まず怠らず続けることです。

5. 理屈と論理の出番を多くするには「チェック機能」が必要です。つまり、私のやったことの良し悪しの判定ができることと、悪かった場合の解析と対策を考えることです。
  

ここまできて思い出してみれば、私達は、子供の頃、かなり苦労していろいろなことができるようになっているのです。体を思うように動かせるようになったのも、初めはできないのに、何回も練習してできるようになったのです。

これは正に試行錯誤の結果です。「まんずやってみれ!」です。さらに、やる気だって十分ありました。失敗しても諦らめずに何回も何回も挑戦してできるようになっていたのです。

これは正しく本能のおかげです。人によって程度の違いはあっても、誰もできることで、実際にやってきたのです。本章で書いたことは、考えてみたら、教えられなくても生まれたときに持っている性質や能力に関することが多かったのです。


例えば、赤ちゃんが少し離れたところにあるお菓子を取って、自分の口に持っていくという行動を考えてみましょう。食べ物を探し、得て、食べようとする本能の働き(やる気)だと思いますが、この行動ができるようになるまで何回も頑張ります。何の躊躇もなく(失敗することを考えないで)お菓子を取ろうとします(とにかく始める)。しかし、手を伸ばしても、初めは、ちょうどいいところへ手が行きません。何回も繰り返した(試行錯誤の)結果、よい位置に手を持っていけるようになるのです。その後の行動も何回も繰り返して、やっと口へ持っていけるようになるのです。

ここで、この子には、小さくても「チェック機能」備わっているのです。手を伸ばした位置が左すぎれば、お菓子の位置を見て右に伸ばすようにしますし、その逆もできるのです。

このように、小さい子がいろいろなことを自然に学習していく過程は生きるために必要なことです。これらを誰にも教わらずにやってのけられるのが私達の小さいときなのです。

但し、いろいろなことができるようになるために苦労をしたこととか、感動したことなどは、大人になってよく覚えていないことが多いのです。

つまり、大人になっても、昔、小さいときあまり意識しないでできたこと(問題解決に使える能力)ができなくなっているのです。

[つまり、馬鹿というのは、生まれつきではなく、大きくなるとともに、なっていくものだ。2014年記] (Fools are made,not born.)


では、問題に出会って困ったときに、どうしたらいいのでしょうか。

本を買わなくても、偉い先生の話を聴かなくても、それを知ることはできます。それには、小さい子がやることを観察すればいいのです。

ただ、それだけで、自分の問題を解決できるかどうかは分りません。

解決するためには、自分がその問題を解決したい、あるいは、しなければいけない、という気持を強くする必要があります。面白そうだとか、答を知りたいということでもいいのですが、もしかしたら、解決しないと大変なことになるというような悩みや恐れの方が効果があるかもしれません。

これらがそれほど強くなくても、まず解決に着手して、倦まず怠らずに努力しているうちに、何かのきっかけで昔のことを「思い出す」(意識していないかもしれませんが)と、急に夢中になって解決に励めるようになるかもしれません(やる気が出てきたとも言えます)。

以上、本章で書いてきたことのまとめについて考えました。そして、一言で言うならば、それは、

「子供のように考える」

ということです。

また、当初、問題解決の考え方を決める要因として、「頭の要因」と「心の要因」とに分けて考えようとしてきましたが、結局、両者を強いて別のものとして考えないことにします。

2009/3/8 18100字


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